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神学の河口11 人間の仕業(蛇) キリスト者の共同体に関わる前回までの考察によって、イエスの語った「私の教会」(マタイ 16,18 参照)が、未だ公に現れていないという結論に達した。これは、「 神学の河口」№1 で問うた、「キリスト者は、『人間の仕業』をなぜ終わらせることができないのか」という問いに答え、「人間の仕業」を終わらせるための、負の要素になるのではないかと考えられる。そこで今回からは、「人間の仕業」そのものの起源に迫り、そのメカニズムの解明に向けて考察し、「私の教会」が未だ公に現れていないことと、キリスト者が、「人間の仕業」を終わらせることができないこととのつながりを、明らかにしたい。 神が生き物に、食べ物を配慮したことから(創世記 1,11~12 、 29~30 参照)、生き物は五感を通じて実際に経験したこと、すなわち五感データを記憶する能力を持っていたことがわかる。生き物が複数になり、この記憶を持って交わるとき、その生き物の五感データに、ある種の情報化が発生するようになる。同種の生き物であっても、一つの事柄に直面する時、皆が同時に同じ条件でそれを受け取るわけではない。それぞれが得たデータには常にいくらか差異が生じる。それは次の機会に同じ事柄に臨むとき、互いの取り組み方の違いとして表れる。この違いは、複数いる同種の生き物の中で五感を通じて交換され、それぞれの五感データとして記憶される。この記憶は、生き物が単独でいれば存在しない情報であり、このプロセスを、五感データの偶発的情報化と呼ぶことができる。神から創造された生き物は、長い時間をかけて、偶発的情報化の影響を受けて進化し、種を存続させながら、天地創造の計画を完成させる神と人の歴史に沿って生きてきたにちがいない。偶発的情報化は、生き物が複数集まるところに生まれるものとして、自然の一部とみなすことができる。 創世記で、初めに創造された1体の「人」は、他の生き物と同じように、五感データを記憶する能力を持っていた。この「人」の五感データの記憶は、「人」が男と女に分けられたとき、 2 人に平等に受け継がれたと考えられる( 「神学の河口」№ 4 参照)。そこで、善悪の知識の木の実に関わる神の警告の記憶も、男女は平等に持っていた。しかし男と女に分かれた後、そ